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お金の信用を支えるのは国家か?~「鎌倉殿」の時代に学ぶマネーの本質(快刀乱麻エコノミクス Vol.01)

QUICK Money World 木村 貴】お金といえば、誰もが仕事や生活のために日々使用している。けれども、「お金とはどんなものか」とあらたまって問われると、意外に難しい。本やネットで目にする解説も、一見もっともらしいようで、じつはマネーの本質を十分にとらえきれていない。

たとえば、「お金の信用を支えるのは国家」という説だ。

たしかに、今の円やドルのお札は「不換紙幣」といって、銀行に持って行っても、金貨などの実物資産と交換してくれるわけではない。その意味で、ただの「紙切れ」だ。

ところがその紙切れを、みんな当たり前のようにお金として使っている。よくある解説によると、それはみんなが、お金を発行する国家を信用しているからだという。

現代に限れば、この説は正しく見えるかもしれない。今は原則、国家の発行する不換紙幣だけが正式なお金として認められているからだ。しかし視野を過去に広げると、お金の違った側面が見えてくる。

中世日本のお金(貨幣)は誰が発行したか

今月放送が始まったNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台は、平安時代末から鎌倉時代前期。歴史区分でいえば中世にあたる。この時代、日本ではすでにお金(貨幣)が経済取引の手段として普及しつつあった。いわゆる貨幣経済の発展だ。

1月9日放送の第1回では、小栗旬さん演じる北条義時と父の時政が、京都で買ってきたみやげの品について話す場面があった。

さてこの時代、お金は日本の政府機関のうち、どこが発行していただろう。天皇が君臨する朝廷か。あるいは栄華を誇った平氏政権か。それとも北条氏が仕え、平氏を滅ぼした源氏の鎌倉幕府か。

答えは「どこも発行しなかった」である。お金は日本政府が発行するのではなく、海外から輸入された。

日本に金属製のお金(金属貨幣)が現れたのは7世紀後半(飛鳥時代)で、8世紀初頭に朝廷が自ら「和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)」を発行したことで徐々に普及していった。しかし平安時代に貨幣鋳造はいったん途絶える。

この後、12世紀後半(平安末期)に中国から銅銭が持ち込まれた。流入のきっかけは、中国との貿易だ。当時の中国は宋といい、10世紀半ばから13世紀後半まで続いた。12世紀前半にいったん滅亡するまでを北宋、その後都を開封から南の杭州に移した時期を南宋と呼ぶ。

日本とは10世紀後半、北宋の商船が九州地域を中心に商取引目的で来航するようになる。12世紀中頃には、『鎌倉殿の13人』にも登場する平清盛が博多や大輪田泊(現在の神戸)の港湾開発に力を入れるなど南宋との貿易を本格化させた。いわゆる日宋貿易だ。当時の日本の主要輸出品は銅や硫黄などの鉱山資源だった。一方、輸入品の一つとして宋の銅銭が流入した。宋銭と呼ばれる。宋の後の明の時代に発行されたものを含め、中国から輸入された銭貨を「渡来銭」ともいう。

※宋銭

政府・中央銀行が通貨に対して積極的に介入する現代の感覚からすると意外なことに、当時の朝廷や幕府は宋銭に対して何の統制もしなかった。その結果、日本国内では中国の銭が活発に流通する。今でいえば、中国から人民元が日本に流入し、お金として使われる様子に近いかもしれない。

ただし当時の宋銭には、人民元との違いもある。

人民元は、現在の中国政府傘下の中央銀行である中国人民銀行が発行している。しかし宋銭の場合、北宋が滅び、南宋の時代になっても、多く利用されたのは、前の北宋政府によって発行された銭だった。

それだけではない。宋の政府が発行した銭を模倣し、中国や日本国内で作られた貨幣(私鋳銭)も、お金として利用された。民間が銭を模造したというと、通貨偽造かと眉をひそめる向きもあるだろう。しかし昔は、政府やそれに準じる機関が通貨を供給しない場合、民間がそれを自律的に作り出し、社会で受け入れられる現象が珍しくなかった。

外国・民間のマネーを使った400年、金属価値が裏付け?

日本国内における渡来銭の使用は、鎌倉時代にとどまらず、室町時代、戦国時代まで続いた。じつに四百年近くにわたり、政府が貨幣を発行せず、外国や民間で作られたお金を使っていたことになる。

この事実は、「お金の信用を支えるのは国家」という現代の常識に真っ向からノーを突きつける。

それでは当時、国家がお金の信用を支えていなかったとすると、何が支えたのだろう。それは、銭が持つ「モノとしての価値」だったとみられる。ヒントとなるのは、宋銭はお金以外の用途で日本に持ち込まれたとする最近の研究だ。

たとえば、貿易船のバラスト(船を安定させるための重り)として持ち込まれたという説がある。日宋貿易における輸出品である金や硫黄に対し、おもな輸入品である陶磁器の比重は軽い。大陸からの帰途に船に陶磁器を満載しただけでは軽すぎて船が安定しないため、底荷として宋銭が用いられたという。

銅製品の原材料として輸入されたという説もある。鎌倉大仏の原材料は宋銭だといわれる。宋銭と鎌倉大仏はともに銅70%、鉛20%、スズ10%ほどの組成となっている。両者の類似は偶然とは考えにくい。最初の説のように船底に積む重りが必要だったとしても、まったく無価値な物よりは、それ自体が日本国内で価値を持つ物を用いたほうが、効率的だ。

現代の経済では、通貨が流通するためには、権力による強制や政府の負債としての性格を持つことが必要といわれる。しかし中世日本の場合、渡来銭は一定の重量の銅の持つ価値が裏付けになっていた可能性がある。そうだとすれば、権力による強制や政府負債としての役割なしに流通したことは不思議ではない(飯田泰之『日本史に学ぶマネーの論理』)。

暗号資産(仮想通貨)と渡来銭の共通点とは

お金が一般に受け入れられるプロセスには二つのパターンがあるとされる。ひとつは、中央集権的な権威が制度整備を通じて特定の交換手段に社会的通用力を与え、人々の信認を得るというプロセスである。中央銀行や政府が紙幣・硬貨を発行し、偽造を取り締まる現代の各国の貨幣制度はこのパターンに属する。

もうひとつ、中央集権的な権威を必要としないプロセスもある。そのプロセスとは、分権的な枠組みのなかで人々が特定の交換手段を信認するパターンだ。鎌倉・室町時代は、このパターンで渡来銭が流通するようになった。

現代の暗号通貨はブロックチェーンによる分権的仕組みを基礎としている。したがって暗号通貨における信認は、現代の政府の発行するお金よりも、鎌倉・室町時代の渡来銭に似ている(横山和輝『日本史で学ぶ経済学』)。

国家と関係なくお金が流通した例は、中世の日本だけではない。18世紀にオーストリア政府が発行した、女帝マリア・テレジアの肖像を刻んだ銀貨は、本国ではとうに使われなくなった20世紀に至るまで、遠く離れたアフリカ・西アジアの特定地域で流通を続けた。この地域はオーストリアの植民地でも勢力範囲でもなく、むしろ英国やフランスの植民地ないしはその勢力下にあった(黒田明伸『貨幣システムの世界史』)。

政府がお金を発行し、中央集権的な権力でそれを流通させるあり方は、長い歴史からみれば一つの選択肢にすぎない。政府がお金を大量に発行しすぎてその価値を毀損するようだと、人々は政府の通貨を敬遠し、暗号通貨や金・銀をメインのお金として使い始めるかもしれない。すでに最近の物価上昇、つまり通貨価値の下落を受け、その兆しはある。

人々が政府に頼らず、自分たちで信頼できるお金を選び取っていく。今、そんな時代が再来しようとしているのかもしれない。

本連載コラムは、経済に関する素朴な疑問をわかりやすく解きほぐします。

 

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著者名

QUICK Money World 木村 貴


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